東京地方裁判所 昭和30年(ワ)1397号 判決 1956年11月21日
原告 岡本政利
被告 国
訴訟代理人 小林忠之 外三名
主文
原告と被告との間に昭和二十六年五月三十日成立の原告を爆薬取扱工として使用する旨の期間の定めのない雇用契約が存在していることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
原告は主文同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。
第二、請求の原因
一、原告は昭和二十六年五月三十日駐留軍労務者として被告に期間の定めなく雇用され、爾来横浜市港北区奈良町七百番地所在米国駐留軍池子火薬廠田奈支廠に爆薬取扱工として勤務していたものであるが、昭和二十九年三月十日被告から、次の理由により即時解雇する旨の意思表示を受けた。即ち、原告が、(一)昭和二十九年二月二十三日午前十一時頃田奈支廠東レールベット附近において後進しつつあつたトラックの後部ドア(テールゲード)を開け、そのため後部ドアを開けるのにトラックが停止している場合と比べて約二倍の時間を費し、かつ原告の生命を危殆ならしめた。
右は甚しく常識を欠くもので、安全規則違反である。(二)同日午後三時頃同所附近において時速五哩で動いていた貨車の側壁に飛び乗りその貨車の戸を開けた。そのため原告の生命を危殆ならしめ、かつ右貨車に積まれてあつた四十ポンド・シエープチャージ(爆薬)二箱を地上に落下させ爆発の危険を惹き起したもので、右は安全規則違反である。というのである。
二、しかしながら右解雇処分は次の理由により無効である。即ち
(1)「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定」第十二条第五項に「……別に相互に合意された場合を除く外、賃金及び諸手当に関する条件のような雇用及び労働の条件、労働者の保護のための条件並びに労働関係に関する労働者の権利は、日本国の法令で定めるところによらなければならない」と明走されており、而も「別に相互に合意された場合」が現存していない以上は、駐留軍労務者たる原告は専ら国内労働法令によつて労働者としての権利を保護されるべきである。そして常時十人以上の労働者を使用する使用者(被告国はこれに当る)は、安全に関する定めをする場合においてはこれに関する事項、制裁の定めをする場合においてはその種類及び程度に関する事項等について就業規則を作成しなければならないとする労働基準法第八十九条の規定は、労働者保護のための規定で、被告に適用があるから、被告は、右の事項について就業規則又はこれに準ずる何らかの規則を制定してこれを労務者に周知させる措置をとるべき義務がある(法第百六条)。しかるにそれをなさず、安全規則に違反すると称してなした右即時解雇は制裁の要件である基準を定めていないので無効といわなければならない。
(2) 仮に右主張が理由がないとしても労働者の責に帰すべき理由なくしてされた本件即時解雇は無効である。前記解雇理由(一)については、空のトラックを貨車に接着させるに際して原告の作業に非難すべき点があるというのであるが、軍の現場作業指揮者は、作業班長(フオアマン)である原告その他の労務者に常に「ハバハバ」と叫び作業の促進を要求していたので、トラックが後進して貨車に接着する直前一旦停車してトラックの後部ドアを開け、更に後進したので停止の時間を要するため、原告は停止の直前にトラックの斜後の地上においてトラックの運転手に対し「開けるぞ」と合図した上貨車から二、三間の地点で動いているトラックの後部ドアの留金を外したに過ぎない。従つてトラックの移動中にこの作業がなされても、その速度は停止直前の極めて緩いものであるから、原告の生命を危くするなど事故発生の危険は何もなく、作業指揮者の要求に従つて敏速に行動したに外ならず非難さるべき理由はない。理由(二)については、原告は、貨物を積載している貨車の停車前これに添つて暫く歩き、殆んど停車と同時に地上に立つたまゝ右貨車の戸を開けたのであつて、貨車に飛び乗つた事実はない。従つて解雇事由とするところの生命に対する危殆はなかつた。もつとも四十ポンド爆薬(シエープチヤージ)一箱(二箱ではない)が地上に落ちたけれどもそれは車内の支機(バリ)が既に除去されていたからであつて、停車後戸を開けたとしても落下することに変りはないわけであつて、停止直前に開扉したためではない。仮りに原告の右所為が如何に緩い速度であつても停止前になされたための、危険皆無といい得ず、安全上避くべきであるとしても非難すべき程度は極めて軽微であるので、即時解雇に値しない。そして本件を類似の前例に比較して見てもさきに昭和二十八年八月頃爆薬取扱工副班長鴨志田上八が田奈支廠内において倉庫からトラックに信管を積み替えた際右信管が爆発したことがあるが解雇は勿論叱責も受けなかつた。火薬箱が貨車、ローラーマンベアー、トラック等から転落した事例は過去に屡々あつたが、それらの責任者にして安全規則違反、重量爆発物取扱不注意という理由で解雇された事例はないのである。よつて本件解雇は即時解雇に値する事由がないのになされたものなので無効である。
そうでなくても少くとも解雇権の乱用で無効である。
(3) 仮りに以上の主張が理由がないとしても、本件解雇は原告の平素の正当な組合活動の故になされた不当労働行為であつて無効である。即ち原告は、
(一) 昭和二十七年八月十八日全駐留軍労働組合田奈支部設立に当り結成準備委員となり、設立後執行委員に選任され、同年十二月十七日の給与改訂年末斗争二十四時間ストライキに際しては斗争委員及び行動隊長として約八十名の行動隊を指揮して活溌に行動し、
(二) 昭和二十八年六月執行委員に再選され、同年同月十二日の労務基本契約改訂斗争四十八時間ストライキに際しては斗争委員及び行動隊長として約百名の行動隊を指揮して活溌に行動し、又同年十二月十六日の週四十時間制反対斗争四十八時間ストライキに際しては、斗争委員及び行動隊指導委員として行動隊長を補佐して活溌に行動し、
(三) 昭和二十八年十一月二十七日の原告並びにその班員七名の超過勤務につき作業班長としてかつ執行委員として軍に交渉し超過勤務手当支給方を交渉し、軍をして漸く翌二十九年一月十日これが支給をなさしめることに成功した。
右のような原告の顕著な組合活動は狭い田奈支廠において軍の知悉しているところであり、軍の監督者は原告の右組合活動に対し不快と反感を持ち、昭和二十八年十二月十八日原告の班員を他の班に分散所属せしめ、原告一人に終日仕事を与えず翌日から約一ヵ月間クリーニング班なる雑役班の一班員に格下げし、昭和二十九年一月十八日従前の班の作業班長に戻されたが、それからも軍は原告の諸動作を自眼視して監視していたのであつて、このことは軍が解雇当日その場で原告に貸与の衣服を脱がせ通門パスと胸章パスを取上げ衣服をつかみ手を引張り腕をつかんで引きずり出そうとし、警棒でこずき廻し原告は止むなく胸ぐらをとられたまゝ門外に抛り出されたことによつても明らかである。即ち、軍の解雇意思決定の真の意図は原告の平素の正当な組合活動の故である。このことは、全駐労田奈支部が昭和二十九年四月三日総決起大会において賛成一七四票反対十四票白紙四票の絶体多数をもつて原告に対する右不当解雇に対し斗争に入り「座り込み」「連続団体交渉」「ハンスト」等をなし、全駐労神奈川地区本部も池子火薬廠部隊司令官等軍側責任者や神奈川県当局責任者と再三、三者会議なるものを開き交渉したことからも推認されるのである。
よつて原告と国との間には現在雇用契約は存続しているのであり、これが確認を求める次第である。
第三、被告の答弁並びに主張
一、請求原因一の事実中解雇された日は昭和二十九年三月二十二日であり、解雇理由は重量爆薬物の取扱不注意及び安全規則違反である。その余の主張事実は認める。
二、請求原因二の事実中解雇無効の主張はいづれも争う。
(1) について
即時解雇の要件として就業規則等によつて解雇規準の設定を要する旨の主張は理由がない。
(2) について
被告は駐留軍労務者との雇用関係について就業規則の効力を有する「解雇及び退職手当支給規程」を定め同規定第二条(基準法第二十条と同趣旨)には、「国が労務者を解雇しようとする場合は三十日前にその予告をすべく、予告しないで解雇するときは平均賃金の三十日分を解雇手当として支給する。但し、労務者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合はこの限りでない。その事由については所轄労働基準監督署長の認定を受ける」旨定められているのであるが、原告は次に述べるように労務者の責に帰すべき事由に該当する所為に出たので、昭和二十九年七月二十四日所轄労働基準監督署長の認定を受け解雇手当の支払をなさず即時解雇したのである。
即ち、原告は、(イ)その主張のとおり後進しつつあつたトラックに飛び乗り後部ドアを開き、また(ロ)動いていた貨車の戸を開けそのために右貨車に積まれていた四十ポンド爆薬(シエープチヤージ)二箱を地上に落下させたのである。右(イ)の行為は一見重大には見えないが移動中又は停止前車輌に近寄ることの危険なことは昭和二十七年中作業員鈴木成太郎が後進中のトラックと貨車との間に挾まれて死亡した事例があることからも明かで、原告自身の生命身体に危険があるのみならず、作業時間もかえつて掛かる結果となつたのである。右(ロ)の行為は結果的には被害は発生しなかつたけれども原告自身の生命身体に危険を伴うのみならず、万一爆薬(シエープチャージ)が爆発すれば作業場全体が吹き飛び人命及び財産に多大の損害を生ずることは明らかであつて、当時も作業場関係者に強い精神的衝げきを与えたのである。仮りに原告主張のように貨車の戸を開けた際、既に支材が除去されていたとしても貨車の停止後戸を開けば爆薬箱の落下を防ぐことはより容易であつたはずである。而して進行中の車輌に飛び乗つたりその戸を開いたりすることは前記のような危険を伴うので車輌に爆薬積載の有無にかかわらず、これをしてはならないことは既に常識化していて原告は職務上それだけの注意をする義務があつたものといわなければならない。しかも原告は被告に雇用される数年前日通の作業員のとき以来爆薬取扱の作業に従事しこのことを十分熟知していたのであり、しかも作業班長として班員七、八名乃至十名内外の班員と共に作業に従事すると同時にこれを指導監督しこれに模範を示すべき立場にありながら人命及び財産上の重大な損害を生ずる危険を惹起したものでその情状重いものというべきである。
なお、現場の実状を附言すると米国駐留軍池子火薬廠田奈支廠においては原告を含む爆薬取扱工に対し爆薬取扱につき次のとおり絶えず指導監督していたものである。即ち(1) 指導監督の任に当る検査官(インスペクター)が常に作業場において爆薬物の取扱について指導監督を行い車輌は停車後その戸を開けるよう注意を行つていた、(2) 管理人(マネージャー)が班長(ホアマン)以上を集め右同様の指導監督を行つていた、(3) 廠内で班長会議を随時開きその席上爆薬物取扱について教育し注意を与えていた。(4) 毎月一回安全会議を池子火薬廠で開きその席上右同様の教育注意を与えていたが、田奈支廠からもこの会議に出席してその結果が伝達されていた。(5) 火薬取扱についての注意殊に車輌に乗降するには必ず完全停止するまでまたなければならない旨を記載した印刷物を各人に配布し指導注意を与えている。右印刷物のうちには監督の地位にある者は従業員を指導するに当り自ら正しく模範的な方法を示さなければならない旨も記載されている。(6) 原告は屡々倉庫に出入していたのであるが、火薬廠の倉庫には駐留軍の安全規則を抜萃したものが掲示してあつて、これには上級者、監督者、教官その他関係担当者の注意事項をよく守つて作業を行うこと、爆薬庫や作業場の入口に掲示してある「爆薬物の貯蔵取扱いの一般指示」をよく読んで理解し実習に際してはこれを守ること、しかしてその一般指示の内容として常に火薬弾薬は注意深く丁寧に取扱うことが記載されている。(7) なお、原告は前記日通時代にも右同様内容の指導を受けていた。
従つて進行中の車輌の戸を開けてはならないことは爆薬取扱工の作業上の常識となつていたのであつて、もしかゝる注意義務のあることを知らないとすればそれ自体既に職務上の任務を怠つていたものといわなければならない。
(2) 後段の過去の事例は本件とは事情を異にしこれにより本件解雇を無効ならしめる理由とすることはできない。
仮に右主張が理由なく、本件解雇事由が労務者の「責に帰すべき事由」に該当しないとしても被告は右規定に従い解雇手当の支払義務を負うに止まり、その提供をしなかつたために右解雇の意思表示が無効となるとはいわれない。
(3)の不当労働行為の主張について
その(一)の事実中原告が昭和二十八年六月十三日まで執行委員であつたこと、昭和二十七年十二月十七日原告主張のような二十四時間ストライキのあつたことは認めるがその余は不知。
(二)の事実中昭和二十八年六月十二日及び同年十二月十六日四十八時間ストライキのあつたことは認めるが、その余は認めない。
(三)の事実中原告主張のクリーニング班は雑役班ではなく、むしろ重要な清掃作業であり、臨時に設けられるのであつて、総班長が労働組合執行委員長の坂本富士夫が原告をクリーニング班に臨時に編入し、その作業に従事させたに過ぎない。
そして原告は引き続き班長の地位にあり格下げの事実はない。軍が原告に貸与衣服を脱がせたこと、通用パスを取り上げたこと、昭和二十九年四月三日組合が斗争に入り「座り込み」「団体交渉」「ハンスト」等のあつたことは認める。三者会議はその頃二回開かれたが原告の解雇に関係はない。その余の事実は争う。
第四、被告の主張に対する原告の主張
被告の右主張中、鈴木成太郎死亡の事例は本件と全く事情を異にする。即ちトラックが路線を越えて貨車に接着し積替作業終了後再び路線を越えて前進を開始したので貨車内にいた鈴木が地上に飛び降りたところ、たまたまトラックが後進したため鈴木は貨車とトラックの間に挾まれて死亡したのである。なお班長会議はたまに開かれたことがあるがその席上具体的な「教育」「注意」はなかつた。その余の事実は認めない。
第五、証拠<省略>
理由
第一、原告は昭和二十六年五月三十日駐留軍労務者として被告に期間の定めなく雇用され爾来横浜市港北区奈良町七百番地所在米国駐留軍池子火薬廠田奈支廠に爆薬取扱工として勤務していたが昭和二十九年三月(日は争いがあるので後に判断する)被告から次の理由によつて即時解雇の意思表示を受けた、即ち原告は、(一)昭和二十九年二月二十三日午前十一時頃前記田奈支廠内東レールヘッド附近において後進しつゝあつたトラックの後部ドア(テールゲート)を開け、そのため後部ドアを開けるのにトラックが停止している場合に要する時間の約二倍の時間を費し、かつ原告の生命を危殆ならしめた。右は甚だしく常識外れである。(二)同日午後三時項同所附近において時速五哩で動いていた貨車の側壁に飛び乗り右貨車の戸を開け、そのため原告の生命を危殆ならしめ、かつ右貨車に積まれてあつた四十ポンド爆薬(シエープチャージ)二箱を地上に落下させ爆発の危険を惹き起した。右は安全規則違反である。
以上の事実は当事者間に争いがない。そして解雇の日については、公文書であるから真正に成立したものと認められる乙第一、二号証、証人木村真司の証言によれば昭和二十九年三月二十二日である(原告主張の十日は原告が基地外に放逐された日であるがこれは出勤停止措置をとられたものである)ことが認められる。
第二、一、原告は、駐留軍労務者たる原告は国内労働法令によつて保護されるべきであり、国内法によれば使用者は安全に関する定めをする場合にはこれに関する事項、制裁の定めをする場合にはその種類及び程度に関する事項等について就業規則を作成し(労働基準法第八十九条)、かつこれに労働者に周知させる措置をとるべき義務がある(法第百六条)のに、被告は就業規則又はこれに準ずべきものを作つて周知させることをせずして、存在不明の駐留軍が安全規則と称するものの違反の廉をもつて、即時解雇というもつとも厳しい制裁を科することはできない。と主張する。そしてその主張の通り駐留軍労務者が国内労働法令によつて保護されるべきものであることは明らかであるけれども、即時解雇をなすには就業規則、又はこれに準ずべき安全規則等に解雇基準を定めこれを周知させることを要するものではなく労務者の責に帰すべき事由のあるときは労働基準法第二十条第一項但書により即時解雇をなし得べきは明かであつて、右の故に直ちに即時解雇が許されないと解すべき根拠はない。
二、そこで本件即時解雇の意思表示が有効であるためには、基準法第二十条第一項但書にいうところの労働者の責に帰すべき事由の存在することを要するので、被告主張の本件解雇理由について判断する。
(1) 被告主張の(イ)の解雇理由について、
原告が前記日時場所において後進しつゝあつたトラックの後部ドア(テールゲート)を開けたことについては当事者間に争いがなく、この事実と証人渋谷正行同坂本富士夫の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は右日時場所において爆薬箱を貨車からトラックに積込む作業に服することを命ぜられていたものであるところ、空のトラックを貨車に接着させる直前にトラックの後部ドアを開けるため、右トラックの斜後の地上で運転手に対し「バックオーライ」と合図しながら徐々に右トラックを後進させ貨車から二米ないし二・五米位の距離のところで更に「開けるぞ」と合図し、後進中のトラックの後部ドアを開けたことが認められる。
被告は、原告が右ドアを開けた際トラックに飛び乗つたと主張するけれども、これに符合する趣旨の成立に争いのない甲第一号証の記載と証人木村真司の証言は前示証拠に照らし措信せずその他前記認定を覆えし右被告の主張事実を認めるに足る証拠はない。ところで後方に移動中のトラックのドアを開ける作業が、停止中になされる場合と比べて作業員の生命身体により一層危険であることは、いうまでもないところであるが、前記のように停止直前の緩慢に後進していた際の作業であるから、これによつて通常予測しない事態の発生しない限り甚だしく生命身体に危険を生じさせたと見ることはできないし、また、被告主張のように著しく常規を逸した行動というに足りない。
もつとも被告主張のように昭和二十七年中鈴木成太郎が後進中トラックと貨車との間に挾まれて死亡した事例のあることは原告の認めるところであつて、事故の前例なしと云えないようであるけれども、証人坂本富士夫、同森俊太郎、同渋谷正行の証言によれば、右事故はトラックが前進して貨車から離れたので貨車の中で作業をした鈴木が貨車から地上に飛び降りた際、前進したトラックが突然後退したために発生した通常予測出来ない異例の事態であつたことが認められるので、この事例の故に原告の右作業態度が事故発生の甚だしい危険あるものと推断することはできない。
(2) 次に被告主張の(ロ)の解雇理由について
原告が前記日時場所において貨車の戸を開け、その際四十ポンド爆薬(シエープチャージ)箱が右貨車から地上に落下したことについては当事者間に争いがない。そして証人坂本富士夫、同渋谷正行、同木村真司、同森俊太郎、同滝川保之の各証言(但し森、木村の証言中後記措信しない部分を除く)、並びに原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告が右手を開けたときの状況は、停車のための制動機(ブレーキ)が掛けられていて、貨車が停止直前の緩慢な速度で動いていた際原告が地上において貨車の戸を開けたところ前記のように爆薬一箱が地上に落下したこと、通常爆薬箱を積載する場合、貨車内に支機(バリ)を施し、その進行によつて生ずる動揺、落下等を防いでいるが、たまたま前記貨車内の支機が撤去され、積載爆薬箱の最上段のものが動揺して貨車の戸に倒れかかつていたため、扉を開くことによつてこれが落下したものであること、右貨車はその後二米位進行して停止したこと及び原告は右貨車内の支材が撤去されていることを知らず、従つて爆薬箱が開扉の際落下の状況にあることを予知せず、且つ予見し得なかつたことが認められる。右認定に反する成立に争いのない甲第二号証、乙第七号証、前記木村真司の証言により真正に成立したものと認められる乙第六号証の二の各記載、及び前記木村真司、同森俊太郎の各証言は措信せず、その他右認定を覆えし、この点に関する被害主張事実を認めるに足る証拠はない。
ところで爆薬を輸送している貨車の扉を開けるに際しては何らかの原因によつて開扉と同時に積載の爆薬箱が落下しないとは保し難いので、その取扱に従事する作業員は爆発の危険を未然に防止すべく作業に細心の注意を払うべきは勿論であるので、そのため停車してから開扉すべきであり、かつ作業員の作業上の安全の観点からも移動中の貨車の扉を開けることは避けるべきであることはいうまでもない。従つてこの点において原告の行動が非難さるべきであると評価されてもやむを得ないであろう。しかしながら、既に停止直前の緩慢な速度で移動中の貨車の扉を開けることは、特段の事情のない限り作業員の生命身体に甚だしく危険であるということはできないし、且つそのために特に爆薬箱の落下の危険を増大させたものと断定することもできない。本件における事態の重大性は爆薬箱の落下した点にあることは、これを諒し得ても、落下の危険は貨車の停止後開扉したとしても同様であることは前認定の事実に照し推測するに難くないところであるから、落下という重大事態の発生を原告の停止前の開扉に帰せしめることは妥当でない。
(3) そこで原告の前記非難すべき行動が基準法第二十条第一項但書の労働者の責に帰すべき事由に該当するかどうかを判断する。
この判定をなすについて、更に現場の作業規律等作業実施の実情如何が関連性を有するわけであるのでこの点を検討するに前記森俊太郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、前記坂本富士夫、同渋谷正行、同木村真司同滝川保之の各証言(森、滝川の各証言中後記措信しない部分を除く)並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、駐留軍には「安全規則」「爆薬物の貯蔵取扱上の一般指示」等がなされていたが田奈支廠においては本件作業に関係ある規定としては、右安全規則には「上級者、監督者、教官その他関係担当者の注意事項をよく守つて作業を行うこと」、「弾薬庫や作業場の入口に掲示してある「爆発物の貯蔵取扱の一般指示」をよく読んで理解し実習に際しては之を守ること」と記されており、右一般指示には「常に火薬弾薬は注意深く丁寧に取り扱うこと」とされているにとゞまり、いずれも総括的な極めて抽象的自明の理が規定され、これらが倉庫に掲示してあるに過ぎず、具体的に貨車やトラックのドアは完全停車するまでは開けてはいけないとの規定及び右違反に対する処罰規定等は存しないこと、又、昭和二十八年に安全規則の抜萃が一部上級監督者に配布されたことがあるが、その内容も車輌に乗り降りするには完全停止するまで待てとの規定があるけれども、貨車やトラックのドアを完全停車後開けるべきことについては何ら規定されていないこと、更に班長会議なるものが時に開かれていて、作業遂行上の指示説明がなされていたけれども特に爆薬取扱いについて細部具体的に及んだことはなく、なお移動中のトラックの後部ドアを開けることの可否の点が取り上げられたことがあるけれども、専らトラックのドアを乱暴に取り扱うと損耗が激しいという観点からこれを避けるべきであるとされたに止り本件のように生命身体の安全という観点からではなかつたこと、池子火薬廠で毎月一回安全会議なるものがあつたが、田奈支廠においてはこれに参加するとそれだけ作業人員が減少し作業に差支えるのでこれに参加することは軍において希望しなかつたため、たまに一名がこれに参加するのみで、かつ会議の内容、結果の伝達もなされていないことのみならず更に田奈支廠においては作業監督(インスペクターゼネラルスーパーバイザー等)がいて作業において注意監督する建前になつていたけれども、実際は、作業係米軍兵隊が右監督を制禦して、鉄道の滞貨料の軽減等の目的のために迅速な作業遂行を要求し、そのため原告のみならず田奈支廠の労務者の過半数は右要求にそうべく、車輌の速度が安全だと思われる程度の緩いものなら多少動いているときでも、トラックの後部ドア及び貨車の戸を開けることが殆んど習慣的になつており、右作業係米兵においてこれを黙視していたので、前記作業監督も米兵の指揮下にある者としてこれを看過していた状態であり、従つて田奈支廠においては、常識上危険でないと判断される取扱いをすれば足る実状であつて一般労務者も前記のような取扱いをすることを職務違反とは考えておらず、原告も過去数年間このような取扱いをなしていて一度も何人からも注意を受けたこともないこと、及び、原告の本件解雇通告後も従前同様作業員が危険でないと考える緩い速度のときは停止前の車輌の戸を開けることは黙認されていること、以上の事実が認められる。前記乙第六号証の二、成立に争いのない乙第七号証の各記載、前記木村真司、同滝川保之の各証言中右認定に反する部分は措信せず、その他右認定を覆えすに足る証拠はない。
以上の認定の原告の行為、田奈支廠における指導監督並びに作業実施の実情を考え合わせると、前記原告の非難すべき行動は故意に職場の規律慣行に違反したものではなく、情状軽い注意義務違反に過ぎないものというべきであるので、この程度のものをもつて基準法第二十条第一項但書にいう労務者の責に帰すべき事由に該当するものと断ずるに足りない。そして右規定は強行規定であるから、これに違反する本件解雇の意思表示は無効である。
三、次に被告は、仮りに本件解雇が労務者の「責に帰すべき事由」に該当しないとすれば、予告手当を支払う義務を負うに止まり、その不提供によつて解雇自体が無効となるものではないと主張する。しかしながら、同条第一項但書の意思表示が同項本文後段の意思表示を含むものとしても予告手当の提供は同項本文後段の即時解雇の意思表示の効力発生要件と解すべきであるから右主張は失当である。
第三、そうだとすれば、その余の主張を判断するまでもなく、本件解雇は無効であつて原告と被告との間には昭和二十六年五月三十日成立した雇用契約は存続しているものというべきところ、被告は本件解雇を有効として、原告との右雇用契約の存在を否定していることは弁論の趣旨によつて明らかであるので、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 西川美数 岩村弘雄 三好達)